波起の雑記

岩手県大槌町の「震災瓦礫」は放射能に汚染されているのか?

僕が、ずっと愛してやまない、 「岩手県大槌町」 「震災瓦礫」をめぐり、 ウソか本当かわからないような情報が 飛び回っているので、 自分なりに結論を出しました。 ぜひリンク先を見てみて下さい。 「岩手県大槌町の震災瓦礫は放射能に汚染されているのか?」 http://togetter.com/li/467720
ボランティア活動

海と共に生きる町

岩手県大槌町吉里吉里海岸。 震災の津波で たくさんのガラスなどが散らばってしまった場所を 多くのボランティアさんと 地元の方々で 気の遠くなるような作業で きれいにしました。 改めて歩くと、 ギュ、ギュっと音がします。 でも、 まだ、周りの防潮堤は、 崩れ、破壊され、 あの日のまま横たわり、 対岸には、 瓦礫と呼ばれてしまった、 大切なものが積み上げられています。 「また海にいきたい」 会話の中でその言葉を聞いて、 何か、とても愛おしく そして寂しい気持ちになりました。 日曜日から始まった、 河合商店や大坂屋さんとの、 今後の大槌町についての話し合いを なんとか一つの形にすることが出来ました。 僕が出来る精一杯です。 後は、彼らが強い意思を持って 進んでいくことを ずっとずっと応援していきます。 また、みんなが、 海と共に生きていけるように、 共に歩んでいきます。 5泊6日の 東北一人旅。 最後の夜は、 ささやかな打ち上げです。 今日は、飲みます!!
波起の雑記

BAR LITOを食す

岩手県大槌町赤浜にできた 素敵なイタリアンレストラン 「BAR LITO」 で昼下がりにランチ。 1ヶ月で、省太くんの顔が さらに男前になってました。 サラダ、 ピッツァ「ジェノバ」 パスタ「ペペロンチーノ」 一口ごとに 美味しいと 口からこぼれます。 横須賀から日帰りで通いそう(笑)
ボランティア活動

大槌の2013年3月

岩手県上閉伊郡大槌町 「城山」 に立っています。 春の陽射しに照らされた場所は、 大槌町の中心部で、 住宅やお店が密集していました。 2011年3月11日 東日本大震災。 この町が大津波で流される映像や その後火事で6日間燃え続けた写真は、 記録として何度も見ました。 また、 震災前の町並みも、記録で。 あの日から もうすぐ2年が経ちます。 取り壊された建物はたくさんありますが、 新たに建設された建物は一つもありません。 僕が実際に見ている風景は、 ファンタジーでも映画でもなく、 わずか2年前に起きた事実です。 しばらくこの場所で 目をつぶり、手を合わせていました。 想像の中で、 記録を今と重ねます。 誰もいない、 穏やかな陽射しの城山で叫びます。 ただいま~!! おおづぢぃ~!!
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鳴子温泉ときえつ

宮城県の友人、 「きえつ」に案内してもらい 鳴子温泉に行ってきました。 昨日、突然電話があり 「可児さん、岩手行くなら少し会いましょうよ」 と。 で、急遽約束。 電話を切るときに、 「じゃあまた明日」 と、言って、二人で 「この距離感で、また明日、って凄いね」 と笑いました。 東北の内陸は猛吹雪で、 東北道が通行止めになったり。 彼とは、 昨年夏に 宮城県大崎市で行われた 「復興花火大会」 にお手伝いに行った時に知り合い 意気投合。 山元町や大船渡でも会いました。 彼は、宮城県栗原市に住んでいます。 栗原市は、内陸ですが、 東日本大震災では、 最も地震の揺れの大きかった場所の一つで、 彼の家は地震により 「全壊」判定を受けています。 今もそこで暮らしています。 沿岸部の津波被害と同時に 内陸の地震被害も まだまだ復興の道半ばです。 そんな彼が 「可児さん、もっと楽しみましょうよ」 と、温泉に誘ってくれました。 鳴子温泉、 お風呂嫌いの僕でも 最高でした。 きえつ、ありがとう。 明日は、岩手三陸。 様々なご縁で繋がった 大切な人たちが沢山います。 この一瞬一瞬を大切に感じます!
ボランティア活動

東北一人旅

おはようございます! 朝5時! 「東北一人旅」 まず今日は、 宮城県の友人「あべきえつ」と お昼に会い、 美味しいラーメンを食べ、 鳴子温泉へ。 北上市で宿泊。 明日の朝、岩手三陸へ。 宝来館に4泊くらいします。 THANKSカーは、 南へ 僕は 北へ 行っていきまーす! 久しぶりの一人運転。 にゃお!
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今だからこそ

泣き言は聞いたことがない。 いつも笑って、 家族を大切にして、 お店頑張って。 でも、なんか今日の電話は、 SOSに聞こえた。 迷わなかった。 まず会いに行こう。 岩手県大槌町。 仮設商店街。 河合商店。 河合秀保くん。 大槌町の町の復興計画。 商店街の再開。 やまほど書類作りが必要。 手伝える事がある。 今まで、デザインと共に、 お店の立ち上げから、 軌道にのるまでのコンサルタントみたいなことを たくさんしてきたから、 ノウハウは多少ある。 後は、どうしたいかを、 彼や商工会の若い人たちと話し、 文面にしていく。 もう急ぎ足で決まってしまう前に、 会いに行こう。 3月3日から4泊くらい大槌います。
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36才になりました。

2013年2月22日。 わたくし「可児波起」は、 36才 になりました。 つまり、 誕生日です。 自分で書きます。 過去、 このブログを始め、 様々な場所で、僕は 「記念日を大切にしない」 と 大きな声で言ってきました。 それは、 記念日を大切にするあまり、 逆に、 「せっかく記念日なのに、、、」 などという残念な事が起こったりして、 なら、 毎日を大切にして、 毎日を記念日のように過ごそう、 と想ってきました。 気が変わりました。 「記念日を大切にします」 東日本大震災。 いつ、なんどき、どんなことが起こるか分からない、 ということを実感しています。 毎日を大切にする、 ということは変わりないのですが、 その中で、 僕が「生」をうけたこの日を、 とても大切に、愛おしく想うようになりました。 なので、 これからは、 特に「誕生日」を大切にしたいと想っています。 特に意識したのではないのですが、 今日、埼玉から父が我が家に遊びに来ました。 今、住んでいる町を沢山見てもらいました。 何度か来たのですが、 改めて、素敵な場所でした。 さっき晩御飯後、 「俺、明日誕生日なんだよね」 「忘れてた、、、」 そんな親子の会話です。 でも、 それでいいんです。 2月22日。 今日は、僕の誕生日。 36年前に生まれ、 それから、精一杯生きてきました。 そして、 これからも、 精一杯生きていきます。 今後とも、 可児波起をよろしくお願いします。
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松本哲也さん「歩きましょう」

「松本哲也」さん。 僕が彼の事を何か書くことは、 おこがましいですが、 同じ年で、今年再メジャーデビューをされた彼を 最大限の尊敬の気持ちを持って、 書かせて頂きます。 彼を知ったのは、 震災後、岩手県を頻繁に訪ねるようになってからでした。 至る所で聞く名前。 「いわて三陸復興食堂」 震災直後から、 岩手県の沿岸部を炊き出しキャラバンとして、 周り、物資提供から、炊き出し、イベントなど、 ずっとずっと続けてきた人たち。 店長は、 今は、岩手県大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいる、 元さん。 正直、僕は、 彼らのストーリーを、歴史を知らないので、 知ったような事を書けません。 でも、 最初の接点は、 昨年の2月、 大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいたら、 突然、次の日に大槌町で行われる
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眠れぬ夜に、仲間を想う。

東日本大震災では、 24年9月の段階で 行方不明の方が2,800人以上いらっしゃいます。 阪神大震災では、今現在行方不明の方は3人です。 震災後知り合った方で、 ご家族がまだ行方不明の方に何人にも出会いました。 供養できないまま、三回忌が近づいています。 「瓦礫」を「我歴」と書いている人がいました。 今の科学技術ではDNA鑑定で、 髪の毛1本でも人を特定出来たりします。 だから「我歴」の中や、 海底探索にご家族の証を探している方が沢山いらっしゃいます。 岩手県大槌町の安渡や赤浜には 「我歴」がまだまだ高く積み上げられ、 1年以上そのままで、 草が生えたりして、 小高い山に見えたりします。 我歴は廃棄物ではなく誰かの家だったり、 大切なものだったり、 行方不明の方の手がかりだったりします。 震災後、嫌いになった、素敵だった漢字「絆」。 大切な人やものを、津波や地震でなくし、 「瓦礫」と呼ばれ、 全国から、 思いやりない言葉や行動で拒否される 被災された方たち、仲間たちを想い、涙が溢れてる夜です。 僕は、「放射能」による人災の加害者、という意識があります。 福島第一原発の事故、起こる前に、 もっともっと勉強して知ってたら、 原発をなくすことに人生すらかけれたはずでした。 いつの間にか「安全神話」をどこかで信じ始めていた自分。 罪悪感なく電気を使っていた自分。