波起の雑記

BEATBOX と 青い光

「BEATBOXと青い光」 倉澤光二と、BEATBOXの全国大会の前日に 我が家で本番を想定して、 部屋を暗くして練習していて、 それをiPhone 5で撮影していたら、 突然青い光が部屋を飛び回りました。 みんなで見てびっくり。 せっかくなので YouTubeにアップしました。 驚きの映像です。 というか、光二のBEATBOX、 凄いのに、そっちに集中できない、、、。
波起の雑記

ここからスタート

まるで親のような気持ちで 光二を、少し離れた所から見守っていました。 岩手県大槌町という 東日本大震災で、 町の生活圏の8割が津波で流され、 多くの人が町を離れ、 多くの人が仮設住宅でこれから 2度目の冬を迎える まだまだ「復興」ということからは 程遠い町から、 15歳の青年が夢のスタートを切りました。 朝、渋谷の会場、 club Asiaに到着。 インターネットなどで見ていた 憧れの人たちがぞくぞくと集結。 不安や緊張で震えていた青年が いつの間にか 輪の中にいました。 club Asiaは、東京でも 長い歴史を持つ大きなclub。 STAND WAVEとして、 昔一度、ステージに立ちました。 こわばっていた顔が バトルに挑むアーティストの顔に変わっていきます。 腰より高いステージに立った光二は、 名前のごとく 光り輝きました。 今まで見たこともない キラキラした表情で、 ステージで躍動しました。 本番では、 見た事もない 自信に溢れた表情でした。 結果は、70人中の ベスト16に残る事は出来ませんでしたが、 その後の大会も最後まで見て、 多くの仲間、友人が出来、 朝から何も食べてないことを忘れるくらい 楽しんでいました。 「僕の人生で一番華やかな日でした」 と言われた時、 とても幸せな気持ちになりました。 光二も幸せ。 僕も幸せ。 幸せの交換。 帰りの車や、我が家に着いた後も、 興奮から、 ずっと、今日という日が どれだけ素晴らしかったかを 話し続け、 急に疲れが溢れてきて まだ寝ています。 もうしばらく我が家にいて、 ワークショップに参加したり 初東京を満喫します。 その想いを三陸に持って帰り どんどん新しい事を生み出して欲しいと願っています。 光二が出来たから、 と、同年代の友人たちが 希望を持ってくれたらと思います。 最近は緊張であまり寝れなかったよう。 ゆっくり起きるまでそっとしておきます。 彼の夢は始まったばかり。 ここからスタートです。 光二。 会えて良かった。 ありがとう。
波起の雑記

夢がある

「夢がある」 昨日から横須賀の我が家に 岩手県大槌町から 「大槌 BEAT BOX」こと 倉澤光二が滞在しています。 明日11日に、 渋谷で行われる ヒューマンビートボックスの 全国大会に出場します。 今年の8月ぐらいに、 大会のことを教えてもらい、 それから色々計画を立てながら 明日、いよいよ本番です。 明日11日は、 東日本大震災から1年8ヶ月の月命日であり、 大槌町の「おらが大槌復興食堂」の1周年であり、 宮城県山元町でCandle JUNEさんとお母さんたちが 特別なキャンドルを作る日であり、 大槌町の15歳の青年が 夢への一歩を踏み出す日であります。 この11日という大切な日を、 それぞれが、それぞれの想いで過ごす。 我が家にきてから、 光二は、ずっとマイクを握り 音を鳴らし続けています。 結果はどうであれ、 「夢」 を持って、それに挑戦するために、 東京に初めて一人できた 青年を、 夫婦で応援に行ってきます! この大切な1日が、 みなさんにとって、 大切な1日として過ぎて行くことを 祈っています。 光二は、 今 一歩を踏み出します! — 可児
ボランティア活動

大槌が好きだ

東京のオフィス街の真ん中で 大槌の仲間と 歌い、 笑い、 泣き、 拳をかかげ 想いを伝え合い、 握手を交わし、 抱き合い、 人の温かさを 心から感じた一日。
ボランティア活動

遠くても繋がる

昨日は朝からパソコンとにらめっこ。 自分の仕事をささっと終わらせた後は、 岩手県大槌町の 「おらが大槌復興食堂」の新メニューの写真が、 メールで送られてきたので、 打ち合わせしながら、メニュー作り。 4つ作ってみました。 ネット経由でデータを送って、大槌でプリントアウト。 綺麗にプリント出来たよう。 11月11日は、大槌復興食堂の1周年。 その後は、 宮城県山元町の方の名刺作り。 かわいいのが出来ました。 確認がとれたので、現地着で入稿。 つまり、こういう形でも繋がれるのが嬉しい訳です。
STAND WAVE

大槌を歌う

先日、大槌に行ったときの拓ちゃんとの2ショット。 場所は、釜石の居酒屋です。 あさってになりますが、 「音楽と笑顔の町・大槌町の元気を喰らう会」 http://blog.canpan.info/noshokorenkei/archive/144 の 音響をお手伝いさせて頂くことになりまして、 機材を積み込んで行ってきます! で、そしたら、おらが大槌夢広場の上野拓也さん、 つまり、大槌の骨太ロックバンド「プリズナー11」の ギタリスト「拓ちゃん」から、 STAND WAVEとして歌わない?とお誘いを受けました。 大槌町横須賀支部を自負する僕らとしては、快諾をしまして、 拓ちゃんのアコースティックギターに合わせて、 大槌で生まれた曲 「二つの大きな向日葵〜大槌物語〜」 をアコースティックバージョンで歌うことになりました。 当日までリハーサルも打ち合わせもない、 ぶっつけ本番になりますが、 そこはプリズナー11のギタリスト。 ばっちり合わせてくれると思います。 ということで、 楽しい夜になりそうです! 拓ちゃん、よろしくねん♪
ボランティア活動

幸せの歌を歌う

岩手県と宮城県では、世帯人数に対する仮設住宅の広さが違う、ということを知り、とても驚きました。 ある夫婦の仮設住宅を見せてもらいました。 夫婦二人で1K メインの部屋は5畳ほど。ここで二人でこれから2回目の冬を迎えます。 10月28日 宮城県亘理郡山元町を訪ねました。 もう何度も来ているので、 知り合いもたくさん出来て たくさんお話をしました。 震災から1年7ヶ月以上が経過し、 ある時期から「停滞感」のようなものが漂い そこで暮らす人たちの気持ちが はっきりした色として見えなくなっているような気がします。 この現状を体感すると、 すぐに、何かしなくては と、気持ちや心が動いてしまうのですが、 最近はそういった僕の 「過ぎる」 想いが空回りしているのを感じます。 過ぎたるは猶及ばざるが如し まさにその状態です。 でも、音楽だけは違いました。 みんなで歌を歌ったら とても幸せでした。 ただそれだけでいいのかもしれません。 強過ぎる想いは 時に暴力的になることあります。 ならば、優しい歌を歌い 優しい気持ちでいたいと思いました。 肩書きが必要かわかりませんが あえてつけるなら 僕は 「音楽家」 です。 優しい歌を歌い続けます
ボランティア活動

今日も東北道をひた走る

朝4時に起き、東北道を北上しています。 今日は 宮城県山元町を訪ねます。 山元町の仮設住宅の お母さんやおばあちゃんたちが、 「イチゴのエコタワシ」 という素敵な商品を作られたので、 パッケージをデザインさせて頂きました。 とても喜んで下さったので、 会いに行ってきます。 夕方からは、 山元町の幼稚園生、 未来のロックスター「ぜん君」宅へ。 山元町は、 市街地などのほとんどが津波の被害にあい、 子どもたちが走り回って遊べる所などが少ないんです。 岩手県大槌町でも同じ問題があり、 「世界のパイセン」こと 正道さんが、 日々子ども達のためにご尽力されています。 山元町の小さい子どもを持つお母さん方が、 それでも町にある子どもが遊べそうな場所を探して 「子育てマップ」 を作りたい、ということでしたので、 そのお話を聞かせて頂きに行きます。 僕はたまたま こうしたデザインの仕事をしていたりするので、 それが役に立てるのであるなら こういった形でもお手伝い出来ると思っています。 一度顔を合わせておくと 後はメールと電話でも対応出来ます。 だからこそ、 会う、顔を見て話す、ということを大切にしています。 朝、夜が明ける時間が遅くなり、 もうすぐ冬がやってくることを教えてくれます。 昨年、初めて東北の「冬」を体験しました。 その冬を仮設住宅で過ごす厳しさも知りました。 今こそ音楽の出番でもあるのでしょうか? 気温はどうにも出来ないけど、 温かい歌を歌える音楽家でありたいとも思います。 行ってきます!
ボランティア活動

復興への一つの光

新潟県中越地震から8年。 紆余曲折ありながら、 ずっと続いてきた復興イベント「SONG OF THE EARTH」 福島で避難生活をされている方々、 宮城で津波被害から 立ち上がろうとしている方々が、 「復興」 という一つの形を感じる事ができた 素晴らしいイベントでした。 とにかく、続けること。 諦めないこと。 思いやりを持つこと。 そんな大切な事を感じ、 共有出来た人たちと集合写真。 真ん中で寝転んで見ました。 笑顔に囲まれて。
ボランティア活動

SONG OF THE EARTH

2004年10月23日 17時56分 「新潟県中越地震」 最大震度7 死者68人 全・半壊家屋 17,000棟 10万人以上が避難 8年前のこの大きな地震は、 阪神大震災より記憶に薄いんです。 犠牲者の数なのか、 被害の状況なのか、 生々しい映像なのか。 27才の僕は、 今回の東日本大震災のように、 現地に行き続けることも 何かをアクションを起こすこともありませんでした。 僕の中には なんとなく言葉だけが残っている震災。 今、LOVE FOR NIPPONという 東日本大震災の復興支援をしている団体の お手伝いをしています。 発起人の、キャンドルジュン氏は、 新潟県中越地震の翌年から 震央地の旧川口町を訪ね それから5年間毎年地元の方達と共に 震災復興イベントにて祈りのキャンドルを灯してきました。 その後、 「NPO法人 にいがたからみんなえがおに」 が立ち上がり、 復興から更なる発展へ、様々な活動を続けています。