ボランティア活動

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これからを深く想う

大きな決意を持っての 7泊8日の三陸滞在。 移住、 長期滞在、 通う。 様々な可能性を探しました。 今後、僕は 東日本大震災に対して もっと深く「関わりたい」 という想いと、 では、実際には何が出来るのか? という狭間で揺れました。 でも、考えるより動き続けます。 またね三陸。 すぐに帰ってきます。 JR釜石線車内より。
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慣れることなかれ

岩手県釜石市にて
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被災地への移住の難しさ。

<移住の難しさ> 今、僕は、岩手県大槌町にいます。 旅館に宿泊しています。 7泊8日です。 僕は、大槌町に 「移住」し、 もっと深く「東日本大震災」のこれからに 関わっていきたいと思っていました。 しかし、 とても難しい状況に直面しています。 このことは、様々な被災された場所で 同じように起こっていることなのですが、 「住むところがない」 んです。 住民の方でさえ、 出たくても出れない「仮設住宅」 アパートなどの賃貸物件は1件もありません。 一番近くて、車で1時間はかかる他市になります。 「仮設住宅」は、 現在は、他の場所に引っ越したり、新しく家を建てたりなどで、 知り合いの方が入居している場所でも、 かなりの数、空いています。 今年の3月いっぱいまでは、 自治体によっては、 空いた仮設住宅を、 長期のボランティアさんなどに、 貸し出していた所もあったのですが、 現在は、そういったことは行われていません。
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悲しみの町から希望の歌

悲しみの跡は、 探さなくてもたくさんあって、 いつの間にか、 その風景に 慣れてしまっている自分がいました。 家の基礎だけになってしまった場所では、 目じるしがなく、 道を何度も間違えてしまいます。 東日本大震災から2年半以上もそのままで、サビてしまった、建物やお鍋。 その横を少年が自転車で笑いながら駆け抜けます。 一歩外に出れば、 まだ生々しい傷跡が見える BAR LITOも、 店内は、オリーブオイルの優しい香りが、食欲をそそります。 高台にあり、津波の被害をまのがれた 吉里吉里小学校は、震災直後は避難所でした。 岩手県大槌町であった、 2年半前の大きな出来事は、 わかりやすい形では見えなくなってきてもいます。 悲しみに覆われていた町に、 希望が生まれてきています。 新しい命の誕生 新しいお店の優しい食事
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もう、友だちなんだ!

昨年の5月、 岩手県大槌町の15才、 倉澤光二に出会った。 彼は、それまで仲良かった友人の弟だった。 仮設商店街のスナックで 俺が無理やりみんなの前に出して ヒューマンビートボックスをして 僕がフリースタイルでラップをした。 その次の日。 大槌町のすく隣。 岩手県釜石市鵜住居の旅館「宝来館」で働く「大ちゃん」に出会った。 彼もまたビートボックスをしていた。 光二と大ちゃんを引き合わせ、 その次の日に、 大槌町中を機材を持って周り、 ゲリラライブをたくさんした。 それから1年半。 昨年、今年と2回 岩手県大槌町で開催された 「おおつちありがとうロックフェスティバル」にも二人で出演した。 ステージの2人はカッコよかった。 光二は、 ヒューマンビートボックスの全国大会に昨年出演し、 今年もエントリーしている。 大ちゃんは、アカペラのグループで イベントなどに出演し、 音を鳴らしている。 道のきっかけは3人だったけど、 それぞれが、新しい道に進んでいる。
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それでも、やっぱり、笑いあってる

今日から始まった、 岩手県大槌町吉里吉里の cafe & bar Apeの復旧作業。 ぞくぞくと集まって下さる人たちが 僕を名前で呼んでくれます。 津波の被害を受けた場所は、 盛り土をするため 基礎のある建物を建ててはいけないことになっています。 凄まじい台風は、 Apeをはじめとして、 船や車や家を破壊しました。 あちこちで、 修理などが行われています。 自然は、 これでもかと、 試練を与えてきます。 でも、 やっぱり、 今日もみんな笑いあってました。 困難に困難を極める状況を ポジティブな空気感が包んでいきます。 気がつくと、 僕も 僕の名前を呼んでくれる人たちと 一緒に作業しています。
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台風とAPE

APE アペ あぺ ゲル 大きな台風が、 たくさんのものを持っていき たくさんの人が集まりました みんなに愛された APE 明日から 復旧作業、開始です!!
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山元町での優しい時間

今日は朝早く自宅を出て、 宮城県山元町へ。 先日、 とても嬉しい報告のメッセージを貰ったので 佐藤作智栄さんと 息子のぜん君に会いに行きました! 山元町に到着後、 まず、久しぶりに来た 町の様子をぐるりと見てまわりました。 大きく変わっていく町と、 変わらない町。 宮城県山元町の JR常磐線「山下駅」。 山元町には高校がないため、 電車は、通学や通勤の 重要な交通手段でした。 まだ再開のメドはたっておらず、 そのためか、 山元町は宮城県でも 人口流出率が 最も高い町の一つになっています。
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10月11日

今日は 「東日本大震災」から 2年7ヶ月の月命日です。 いつも大切な人たちを想っています。 深い黙祷を捧げます。
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9月11日

2011年3月11日 東日本大震災 2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ 震災の月命日と重なる今日は、 特別な想いを持ちます。 深い祈り そして多くを考え感じること 心より黙祷を捧げます