全て、2011年12月3,4日に撮影
岩手県はもう雪でした。
岩手県釜石市の中心部の商店街。
いまだに、津波で1階部分が抜けて、そのままになっています。
宮城県石巻市雄勝町沿岸部。
大きな傷跡がまだ残っています。
岩手県山田町に洋服屋さんが再開しました。
その横には、まだ家がそのままです。
9月に来たときには通れなかった、
石巻市の「新北上大橋」が開通していました。
「私たちは、忘れられてしまうのでしょうか」
岩手県大槌町役場前で出会った年配の女性に、
ふと言われました。
2011年3月11日「東日本大震災」
あれから、9ヶ月近くが経とうとしています。
日本中の方の、被災地への関心が薄れていることを、
被災された現地の方は、
ひしひしと実感しています。
ボランティアに来られる方の数も減りました。
支援物資も減りました。
「山おろし」
という、とても冷たい風が吹き付ける、
三陸の冬は、
心も冷たくしてしまいます。
テレビでは、
「復興」の場面が沢山流されるようになりました。
頑張っている人の姿に心を打たれます。
それと同時に、
今回の被害が、あまりにも広いために、市町村・自治体によって、
支援の状況に、あまりにも格差が広がっています。
ある自治体では、
被災された方が自立できないから、
地元の経済がまわらないから、
という理由で、
ボランティアや支援物資をお断りしている所もあります。
僕らがお話を聞いた、岩手県大槌町では、
埼玉から届いた毛布200枚が、
あっという間になくなりました。
とても足りません。
岩手県は、
雪道が危ない、
ということで、
12月から来年の3月まで、
ボランティアの受付を一時止めました。
実際、雪道を走っていると、
関西方面のナンバーの車が、
雪の中でガードレールにぶつかっていました。
冬装備をしないと、現地に行くことが困難になっています。
そういった状況を感じた現地の方は、
自分たちが忘れられていってしまうことを、
とても怖く、寂しく思っています。
今回、僕は、
12月2日から2泊3日の予定で、
岩手県と宮城県を訪ねる予定でした。
ただ、現地で、
僕が、こうした活動を始めるきっかけになった
「復興の狼煙」ポスタープロジェクトの方にお会いし、
日曜日に撮影があるから、ぜひ写りませんか、
という、奇跡的なお話を頂いたので、
急遽、1泊伸ばして、滞在しました。
岩手県宮古市から宮城県塩釜市に行き、
また岩手県大槌町に行きました。
今回の訪問、
2,100kmも走りました。
今回は、非常に多くの出会いがありました。
沢山お話をしました。
沢山お話を聞きました。
そして、
改めて、
「忘れないこと」
「続けていくこと」
の大切さを実感し、
音楽を届け続けようと夫婦で想いました。
帰り道、11時間かかる神奈川への途中で電話がなりました。
昨日大槌町で出会った女性からでした。
僕のCDとポストカードと名刺をお渡ししていました。
その方は、津波でお孫さんを亡くされました。
「あなたは、曲を作ってるの?
私の気持ちを歌にして欲しいんだけど、いつまでこちらにいるの?」
僕は、もう帰る途中だったので、それを告げました。
でも、また来月も来ます、
と、伝えると、とても喜んでくれて、
来月、お会いする約束をしました。
僕は、音楽から沢山のものをもらいました。
今は、それを還元していきたいと想っています。
だから、
曲も作ります。歌います。音楽を届けます。
帰り、東北道から首都高に入りました。
大渋滞です。
日が暮れても、まぶしいくらいに明るい東京の町並みを見て、
大槌町で、毛布2枚もらって、とても感謝して帰って行く人たちの顔が浮かび、
混乱し、涙が溢れてきました。
僕は、伝え続けます。
どうぞ、一緒に想い続けて下さい。