2013-02

波起の雑記

今だからこそ

泣き言は聞いたことがない。 いつも笑って、 家族を大切にして、 お店頑張って。 でも、なんか今日の電話は、 SOSに聞こえた。 迷わなかった。 まず会いに行こう。 岩手県大槌町。 仮設商店街。 河合商店。 河合秀保くん。 大槌町の町の復興計画。 商店街の再開。 やまほど書類作りが必要。 手伝える事がある。 今まで、デザインと共に、 お店の立ち上げから、 軌道にのるまでのコンサルタントみたいなことを たくさんしてきたから、 ノウハウは多少ある。 後は、どうしたいかを、 彼や商工会の若い人たちと話し、 文面にしていく。 もう急ぎ足で決まってしまう前に、 会いに行こう。 3月3日から4泊くらい大槌います。
波起の雑記

36才になりました。

2013年2月22日。 わたくし「可児波起」は、 36才 になりました。 つまり、 誕生日です。 自分で書きます。 過去、 このブログを始め、 様々な場所で、僕は 「記念日を大切にしない」 と 大きな声で言ってきました。 それは、 記念日を大切にするあまり、 逆に、 「せっかく記念日なのに、、、」 などという残念な事が起こったりして、 なら、 毎日を大切にして、 毎日を記念日のように過ごそう、 と想ってきました。 気が変わりました。 「記念日を大切にします」 東日本大震災。 いつ、なんどき、どんなことが起こるか分からない、 ということを実感しています。 毎日を大切にする、 ということは変わりないのですが、 その中で、 僕が「生」をうけたこの日を、 とても大切に、愛おしく想うようになりました。 なので、 これからは、 特に「誕生日」を大切にしたいと想っています。 特に意識したのではないのですが、 今日、埼玉から父が我が家に遊びに来ました。 今、住んでいる町を沢山見てもらいました。 何度か来たのですが、 改めて、素敵な場所でした。 さっき晩御飯後、 「俺、明日誕生日なんだよね」 「忘れてた、、、」 そんな親子の会話です。 でも、 それでいいんです。 2月22日。 今日は、僕の誕生日。 36年前に生まれ、 それから、精一杯生きてきました。 そして、 これからも、 精一杯生きていきます。 今後とも、 可児波起をよろしくお願いします。
波起の雑記

松本哲也さん「歩きましょう」

「松本哲也」さん。 僕が彼の事を何か書くことは、 おこがましいですが、 同じ年で、今年再メジャーデビューをされた彼を 最大限の尊敬の気持ちを持って、 書かせて頂きます。 彼を知ったのは、 震災後、岩手県を頻繁に訪ねるようになってからでした。 至る所で聞く名前。 「いわて三陸復興食堂」 震災直後から、 岩手県の沿岸部を炊き出しキャラバンとして、 周り、物資提供から、炊き出し、イベントなど、 ずっとずっと続けてきた人たち。 店長は、 今は、岩手県大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいる、 元さん。 正直、僕は、 彼らのストーリーを、歴史を知らないので、 知ったような事を書けません。 でも、 最初の接点は、 昨年の2月、 大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいたら、 突然、次の日に大槌町で行われる
波起の雑記

眠れぬ夜に、仲間を想う。

東日本大震災では、 24年9月の段階で 行方不明の方が2,800人以上いらっしゃいます。 阪神大震災では、今現在行方不明の方は3人です。 震災後知り合った方で、 ご家族がまだ行方不明の方に何人にも出会いました。 供養できないまま、三回忌が近づいています。 「瓦礫」を「我歴」と書いている人がいました。 今の科学技術ではDNA鑑定で、 髪の毛1本でも人を特定出来たりします。 だから「我歴」の中や、 海底探索にご家族の証を探している方が沢山いらっしゃいます。 岩手県大槌町の安渡や赤浜には 「我歴」がまだまだ高く積み上げられ、 1年以上そのままで、 草が生えたりして、 小高い山に見えたりします。 我歴は廃棄物ではなく誰かの家だったり、 大切なものだったり、 行方不明の方の手がかりだったりします。 震災後、嫌いになった、素敵だった漢字「絆」。 大切な人やものを、津波や地震でなくし、 「瓦礫」と呼ばれ、 全国から、 思いやりない言葉や行動で拒否される 被災された方たち、仲間たちを想い、涙が溢れてる夜です。 僕は、「放射能」による人災の加害者、という意識があります。 福島第一原発の事故、起こる前に、 もっともっと勉強して知ってたら、 原発をなくすことに人生すらかけれたはずでした。 いつの間にか「安全神話」をどこかで信じ始めていた自分。 罪悪感なく電気を使っていた自分。
ボランティア活動

大槌でイタリアン

本日、2月14日。 バレンタインデー。 岩手県大槌町赤浜に、 素敵な「イタリアンレストラン」 「BAR LITO」(バール リート) が新規オープンします。 まだ、20代の省太君が 自分の生まれ育った町で、 美味しいものを、 と、 多くの方の協力のもと オープンとなりました。 僕は、大槌町の全てのお宅に配る チラシをデザインさせてもらいました。 大槌町赤浜は、 まだ、家の基礎がいたる所に残り、 津波の大きな傷跡があります。 そこに、 一つの光が生まれます。 横須賀にいても、 デザインやパソコンなどはお手伝いできるので、 繋がりを大切にして日々過ごしてます。 省太くんのお店も、 暖かくなった頃に遊びに行きたい、と。 今日、オープンする BAR LITOのことを、 横須賀から想っています。
波起の雑記

長井の朝市会議

今週土曜日に行われる 僕らが暮らす町、 横須賀市長井の漁師直売 「長井の朝市」 の会議に行ってきました。
波起の雑記

続けて 5,800日

「続けて 5,800日」 今回、突然思い立って沖縄に来ました。 先日、ほとんどテレビにでない モンゴル800がミュージックステーションに出演し、 その時に、キヨサクさんが、 「No Osprey(オスプレイ) No Nukes( 原子力、核)」 というシャツを着ていたのが話題になりました。 紅白で斉藤和義さんのギターストラップに 「NUKE IS OVER(原子力は終わった)」 と書いてあり、 アーティストが あえてテレビ出演をし、 メッセージを発信しています。 「No Nukes」 福島第一原発の事故後、 たくさん見たメッセージ。 でも、キヨサクさんの 「オスプレイ」 については、 僕の中では、 正直あまりピンときませんでした。 彼が何を伝えたかったのか? もうすぐ、 東日本大震災から丸2年が経ち、 3年目になります。 これからが、さらに僕自身にとっての 本格的なアクションのスタートだと思っていました。 その3月11日を前に 三陸から遠く離れた、 日本の反対側の沖縄の問題を体感することで、 もっともっと自分自身を豊かにしていきたいと思い、 2日後の航空チケットを取っていました。 様々な場所を訪ねながら、 沖縄の今を感じていると、 それは、 メディアなどで知ることとは あまりにも温度感が違いました。