ボランティア活動

なぜ大槌なんですか?

「なぜ大槌なんですか?」 よく聞かれます。 「なぜ」というのが分からなくて、その度に色々理由を考えて答えてました。 震災があって、もちろん最初は「被災地支援」として「音楽」を届ける、と考えていました。 でも、だったら、もっと色々な場所で音楽を届ける、ということに一生懸命になれたと思うのですが、今回も歌は歌ってないですし、 じゃあ 「何しに行っているんですか?」 と、言われることもあり、その「何」にも理由が見つからなくて。 でも、昨日、分かったんです。 僕は、 「岩手県上閉伊郡大槌町」が、 そこで暮らす人たちが、 ただただ「好き」なんだと。 恋人のような、 そんな「好き」だから、 「なぜ」にも「何」にも、 「好きなんです」って、はにかみながら答えるんです。 ノリさんの実家があった大槌町吉里吉里に「Ape」という素敵なお店を手作りで作って、 津波浸水した場所は、 基礎を作ってはいけない、 人が住んではいけない、 など 決まり事がたくさんあって、 だから、ビニールシートや廃材で、お店作って、 そこで、大槌のバンド「Prisoner.11」が大音量で何にもなくなった町に音を響かせて、
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小さな幸せの時

行きたい場所、 会いたい人がたくさんいるので、 小走りで大槌を駆け回っています。 今は高台のプレハブの仮設校舎に移転した 旧大槌北小学校跡に昨年出来た仮設商店街 「福幸きらり商店街」 そこに店を構える「河合商店」 店主、秀保君とは同い年だから、 意気投合してからは、時間があると顔を出して長居してます。 秀保君の長男「ひかる」。 昨日は「カッコつけてくる」と、 ロックンロールで登場。 「この革ジャンボロボロでよ~。津波で流されたのを何回も洗ったのさぁ」 小学校2年生の「ひかる」には、 こうして震災の記憶と事実が残っていて、それを誇り高く着こなしていました。 そして、先月から、 鮮魚「河合商店」の贈り物用に貼る紙や 各商品に貼るシールのデザインを 秀保君夫婦と考えてきて、 昨日ついに完成 その場でネット経由で印刷屋さんに入稿しました。 出来上がりを見て、秀保君と僕とテンションがあがっちゃって、 そんな、一瞬かもしれないけど、楽しい、幸せな時間が生まれたことが、とても嬉しかったんです。 3年で終わる「仮設」の商店街。 まだ、次の候補地の予定も見えないけど、「今」を精一杯、明るく生きている「河合家」は、幸せな空気感に包まれていました。
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巡りめぐる出会い

いやはや、偶然なのか必然なのか、運命なのか。 素晴らしい時間でした。 東北道から沿岸部に向かって遠野市を車を走らせていたら、後ろから、白のワゴンが並走してきて、見たら、毒まりも君こと「大久」さんで、手を振って別れて。 釜石に着いて、倉澤光二と合流して、中華料理の青龍で晩御飯を食べてたら、 「阿部力」さんと「阿部真由美」さんと「春也」くんと「直重」くんたちが偶然来店して一緒になって、 みんなと色々話してたら 「阿部幸太」くんと「阿部守」くんと「阿部ひろよ」さんがやってきて、 誰も待ち合わせも、約束もしてないのに、「青龍」に大集合。 楽しい話をして、それぞれ、ご飯を食べたら別々に解散。 その後は、宝来館の「山崎大」ちゃんと会って、音楽話。 今、帰宅。 なんとなく、みんな、 今日は「青龍」で一致して、 嬉しくて、興奮して、 まだ寝付けません。 楽しい、岩手三陸の時間が過ぎていきます。
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おらほ

まだ薄暗い朝の横須賀。 車のエンジンをかけました。 さあ、岩手三陸に出発です! 最初は1泊だったのが、 今は3泊。 毎月行ってるのに、 それでも足りない。 でも、足りないくらいでいいかも。 「また来ます」 と横須賀に戻れるから。 先月、大槌町吉里吉里にある 瓦礫で作った、 Cafe & Bar 「Ape」で、 夜中いると 酔っ払ったおじさんが来て 「おら、おめえたち知ってるぞ。CDももらったぞ」 って。 「たけお」さんでした。 「来月、おらほのApeで写真展やるからさぁ」 と。 「この、【おらほ】ってよぉ、俺のって意味で、愛情込めた言葉なんだよ」 と、酔っ払った口調で教えてくれました。 その「たけお」さんの写真展、 22日まで。 約束通り、見に行きます。 この一つ一つの約束の積み重ねが、 僕らと三陸を繋いでくれます。
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メニュー作り

最近、パソコン君とよくにらめっこしています。 さて、今日は、朝から 岩手県大槌町の 「おらが大槌復興食堂」 のメニューを作ってました。 今までは、 単品のメニューを何枚も貼っていたのですが、 「まとめたのがあったらいいね」 ということで、 まとめてみました。 早速メールで送って、 大槌の拓ちゃんに確認。 あらら、 豚の生姜焼き定食が抜けてました。 ということで、 すぐに修正して、 送り直し。 オーケーが出たので、完了。 ということです。 電話とメールだけで、 出来るから、 すぐそばにいるみたい。 復興食堂の皆さんが、 頑張って、 何度もトライ & エラーして、 作り上げた素敵なメニューの数々。 少しでもお手伝い出来るのは、 それはとても嬉しいことです。 店長の岩間夫妻。 お二人と我が夫婦は仲が良いから、 作っているときに、 顔が浮かぶんです。 だから、 僕が出来る事で、 お手伝い出来ることがあったら、 離れていても、 繋がってます。
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1年9ヶ月

今日は、 東日本大震災から1年9ヶ月の月命日です。 先日も三陸で大きな地震と津波があり、 夫婦でテレビの前から離れられず、 FacebookやTwitterで みんなの状況を確認しながら、 夜を過ごしました。 まだまだ震災は終わっていないと 改めて感じました。 21日から3泊で、 大槌・三陸に帰ります。 1年前に初めて大槌に行った時から なんとなく夫婦の、 月の恒例になりました。 今は「ただいま」に「おかえり」と 言って貰えるようになりました。 とても嬉しく思います。 大切な、大好きな人たちを想いながら 今日を過ごしています。
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帰り道は雨が降る

大槌・三陸から帰る時は なぜか雨がふってたりします。 濃密な4日間でした。 たくさんの人に会えて たくさん話をして みんな「今」を精一杯「生きて」いて その熱気に押されるように 僕も熱い想いを伝えました それと共に 精一杯が疲れに見える時があります 僕に出来ることは 本当に小さなことですが それでも、また来月会いにきます。 僕がこうして大槌に ずっと会いにくる原点があります。 「来てくれるだけで、 生きる力、もらってるっすよ」 今年1月、冬の復興食堂で、 大槌町赤浜の漁師であり 大槌の兄と慕う 「阿部力」さんに言われた言葉です。 今もずっとその言葉が胸に残ってます。 最後に大槌の兄に会えました。 ありがとう大槌。 また近々。
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大槌の朝

朝の岩手県大槌町。 氷点下まで冷え込んだ寒い夜明け。
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東北道を今日も走る

もう何回通ったか覚えてないほど、 走った東北道。 震災後、40,000km以上も走ったけど、 皆さん、軽く100,000kmも走ってたりして、 さすがだなぁ、と思いながら、 この走行距離が僕らの気持ちの証。 距離の長さと大切な人を想う気持ちは 同じように伸びていきます。 今日も三陸に向かって、 車を走らせています。 なっちゃんが、、、。
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いざ大槌へ

大槌魂、注入中。 明日の朝、 岩手県大槌町へ出発です。 いざ大槌へ。