ずっと行きたかったけど、
なかなか行けなかった「沖縄」。
なぜ行きたかったか。
東日本大震災からもうすぐ丸2年。
僕にとっては、3年目が本格的なスタートだと想っていたのですが、
いつの間にか、
横須賀と三陸を往復する日々が、
視野を狭くしてしまっていました。
大切な友人。
昔からの友人。
声には出さないけど、
連絡をしてくる訳じゃないけど、
僕らのことを応援してくれている人。
今まで大切にしてきた習慣。
そういったことを、
置き去りにしてしまっているような感じがしました。
僕は、三陸においては
「よそ者」
です。
どんなに仲良くなって、
滞在しても、
ずっと「よそ者」です。
でも「よそ者」だから考えられること、
出来る事があると想ってここまできました。
その中で、
自分の中では、
「何も出来ていない」
という反省と、自問自答が日々繰り返され、
何か実績や成果を残したい、
という「自己実現」に変わってきていました。
だから、
積極的に声かけをして、
僕に出来る事はないですか?
と言ってまわっていました。
でも、
やっぱり
そんなに出来る事ってなくて、
でも、
間違いなく出来る事は、
「会いに行くこと」
で、
僕らは、ずっと変わらないよ、
ということを伝え続けることぐらいだと想っています。
デザインも、音楽も、
その中での一部でしかないのだと。
沖縄にきて
改めて、
雑踏や雑音が消えた中で、
心身共にリフレッシュしたい、
という漠然とした思いを、
今、実行中です。
それと共に、
沖縄にある
「基地問題」「オスプレイ」のことについて、
現地にきて実感したかった、
というのがあります。
この問題は、
もしかしたら「原発問題」と根底が近いのでは、と想っています。
構造的な問題。
地方が抱える問題。
お金の問題。
全く別のことから、
改めて、
「日本」
という国がどういう国なのかを知りたいと想っています。
砂浜で寝転んだり、
基地を見たり、
空気感を感じたり、
狭くなっていた視野を広げることで、
改めて、
3年目になる
「東日本大震災」
に向き合っていきたいと想っています。
この、
いつもふらっと、突然行動してしまう僕を、
笑顔で送り出してくれる
妻、なっちゃんに、
大いなる感謝をしながら、
沖縄を感じています。