ボランティア活動

おらが大槌復興食堂のホームページ

僕が、岩手県の三陸に通い、今は帰省という気持ちになれた場所。 岩手県上閉伊郡大槌町にある 「おらが大槌復興食堂」 ここで、知り合いが、仲間になり、一生の友になりました。 大槌を訪ねる様々な人と知り合い、繋がり、 大切な大切な場所なんです。 何かお手伝いできないか、と思い、 この度 「おらが大槌復興食堂」 のホームページを作らさせて頂きました。 大槌の人の憩いの場に。 大槌を訪ねる人の交流の場に。 その為の道しるべです。
STAND WAVE

三陸ライブ日記

今回の岩手県三陸への訪問で、急遽ライブをしてきました。 17日の夜、釜石に到着し、そのまま、大槌の「おらが大槌復興食堂」へ。 夕食を食べながら、仲間とお酒を飲んでいると、 おらがのエース小川さんが電話をしながら近くに来て、 「カニさん、19日ライブ出来ますか?」 と聞かれたので、即答でお受けしましました。 19日は、 「いわて三陸復興食堂」と「おらが大槌復興食堂」の コラボレーションのイベントの日と聞いていて、 楽しみに参加予定だったのですが、まさか音楽で出演できるとは。 当日、会場は、100人くらいの人がいたでしょうか。超満員で、皆さんとても楽しんでいました。 賑やかな会話が復興食堂を包む中、ライブを始めました。 大槌への僕の熱い想いを話しながらライブをすすめていくと、 会場は段々静かになり、じっくり音楽を聞いてくれているのが分かります。 そして、目頭を押さえて涙している顔も見えてきます。 その顔を見て、僕も涙が溢れてきそうで、必死にこらえながら6曲、歌い切りました。 曲の途中から拍手が起きたり、 「ありがとう!」という声が聞こえたり、 今までの音楽活動では感じることが出来なかった感動に包まれました。 また来月来てライブをします、というと、大きな拍手に包まれました。 ライブが終わり、 沢山のサインを書かせてもらい一段落で座っていると、 ファンキーな大槌のおじさんが、写真を渡してくれました。 僕らのライブの写真を撮って、 すぐに家に帰ってプリントアウトして持ってきてくれたんです。 僕は、「大槌STANDING STANDING」のTシャツを着て歌いました。 この町に寄り添うこと。 そして、離れていても、共に歩み、生きていくことを実感した訪問でした。
ボランティア活動

「生きる力」とは

「こうやって来てくれるだけで、生きる力もらってるっすよ」 岩手県大槌町にある「おらが大槌復興食堂」で出会い、 意気投合し、2晩連続で、一緒にお酒を飲み、 同じ大槌町にある、瓦礫を集めて作ったおしゃれなレストランバー「APE」に移動中に、 漁師の阿部力さんが言ってくれた言葉です。 「生きる力」 宿泊客を救った女将、として、何度かテレビで見ていた、 釜石市にある「宝来館」の女将さん。 2階部分まで津波で被害を受け、 自らも津波にのまれ、奇跡的に助かり、 それでも、目の前が海の絶景の場所に再び、宝来館を再開させ、 まだ、エレベーターや部屋の鍵が使えないことを 何度も何度も謝りながら、 僕らを泊めてくれました。 帰り際に、STAND WAVEのCDを手渡し、 今、被災した子どもたちや、被災された場所を訪ねながら 音楽を届けている話をすると、 涙を拭きながら色々とお話をしてくれました。 従業員の方が、津波の傷が癒えず、半分の方が復帰出来ず、 復帰した方でも、午前中しか働けなかったり、 皆さん、とても心に大きな傷を抱えながら、 その人たちの、そして宝来館のある地区の子どもたちや将来を 必死に探し続ける女将さん。 話している途中から、顔が変わり、 とてつもなく強い芯と決意を持って宝来館を再開したことを教えてくれました。
ボランティア活動

人のことが、もっと好きになる。

「おらが大槌 復興食堂」 は、岩手県大槌町の一番被害がひどかった場所に、 復興のシンボルとして手作りで作られました。 左に見える、白いテントが食堂です。 1月6日から3泊4日で岩手県の三陸を訪ねました。 片道11時間ほどかかるので、 丸2日は移動日になります。 ちなみに、今回は9時間半でつきました。 それは、神奈川から東京を抜けて東北道に入るまでに 渋滞がほとんどなかったからなんです。 岩手県では、100km移動はよくあるのですが、 東京の首都高では、混んでいると8キロに1時間かかったりします。 さて、 今回は、盛りだくさんでした。 岩手県の三陸を訪ねるのはこれで3回目なのですが、 徐々に繋がりも増えてきて、 会いたい人も増えてきて、 2日間、動き回りました。 7日の朝は、 岩手県洋野町で 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」 の大撮影会に参加しました。 先月、大槌町で行われた撮影会に参加したので、 今回は見学だけ、と思っていたのですが、 参加させて頂けることになり、 みなさんと写ってきました。 この大撮影会は、 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」の第二章で、 岩手県沿岸部の全ての市町村で行われます。 そして、2012年3月11日以降に発表されます。
STAND WAVE

eco japan cupで歌ってきました。

「eco japan cup 2011」 のご報告を。 僕の住む、神奈川県横須賀市長井にある 「給水塔」 と呼ばれる場所を歌った、 STAND WAVEの「給水塔」という曲を歌ってきました。 12月17日に、東京ビックサイトで 「eco japan cup 2011 エコミュージック部門」 の最終選考、公開審査会が開かれました。 「エコプロダクツ2011」 という、3日間の来場者数が18万人くらいの ビックイベントで、 eco関連のブースが700以上出てました。 その1角に、ステージが出来て、 お客さんもいて、 審査員の方もいて。 朝、8時に入ってリハーサルして、 それで、ずっと緊張して待ってまして、 15時くらいから本番でした。 最初5分、自己紹介や曲への想いを話し、 次の5分で歌って、 最後の5分で審査員の方々と質疑応答、 となっていまして、 ただ歌って終わりではないので、 色々と想いを考えていったり、 音楽以外の部分でも、 色々とお話出来ました。 特に、僕がお話ししたかったのは、 今回のeco japan cup 2011が 「エコ復興」 というテーマを掲げているので、 僕が、被災された場所に行って音楽を届けるきっかけになった
ボランティア活動

「幸せの歌 プロジェクト」ご報告 その1

「幸せの歌 プロジェクト」お送りセットです。 CD、ポストカード、お手紙、僕の自己紹介と歌詞カードを クリアファイルに入れて、うぐいす色の封筒でお送りしています。 ※沢山書きました。長いです。でも、読んで頂けると嬉しいです。 さて、 僕は、「東日本大震災」において、 何が出来るのかを、問い続けてきました。 そして、 沢山の悲しみや困難を体験した子どもたちに、 STAND WAVEの歌を届けたい、と想い、 「幸せ」「希望」「ふるさと」をテーマにした3曲を作り、 「東日本大震災復興希望ソング集」として、 今回の震災で被災された 小学校・中学校:207校 高校・特別支援学校:247校に 上の写真の 「幸せの歌 プロジェクト」お送りセット をお送りしています。 それで、 今、どういった状況かを、まずはご報告しようと思いまして。 まず、 今回、被災された学校をを決めるときに、 自分たちの思い入れだけで決めたくない、 という想いがありました。 なにをもって「被災」とするのか。 なので、学校を支援をしているベルマーク財団が 「被災認定校」 とした、小学校・中学校に、まずお送りすることにしました。 そして、 高校・特別支援学校は、 その小中学校がある市町村にある学校全て、 としました。 可能な限り、公平に、根拠を持って、 というのが活動の原点にあります。 しかし、調べていくと、 おそくらく、今回のベルマーク財団の被災認定校の資料が届かなかった学校もあり、 学校自体が津波の被害でなくなってしまったのにも関わらず、 リストにのっていない学校も沢山ありました。 それらを全て、僕らで調べることが出来ないのですが、 お教え下されば、すぐにお送りします。
STAND WAVE

eco japan cup 2011 最終選考会

STAND WAVEは 「生きる」や「大自然」といった 普遍的なテーマを歌ってきました。 そんな中、 僕の住む、神奈川県横須賀市長井にある 「給水塔」 と呼ばれる場所について歌った、 その名も 「給水塔」 という曲が、 環境省・国土交通省・総務省・三井住友銀行さんなどが主催されている 「eco japan cup 2011」 の、エコミュージック部門の最終選考に残ったのです。 この「eco japan cup」には、 様々な部門がありまして、 ビジネス部門や提言部門といったものから、 アート・ミュージックまで幅広く 「eco」 というのを広めていこう、 という主旨の元に、毎年開催されています。 今年から、最終選考が公開審査となり、 多数の応募の中から、 5組が選ばれ、 12月17日(土)に、 東京ビックサイトで開かれる 「エコプロダクツ 2011」 の会場で最終選考会が開かれます。 この「給水塔」という曲は、 僕が大好きな、長井の場所を歌った曲なのですが、 そこから見える景色や匂い・空気感を実感して、 自然の大切さ、共に生きていく、ということを歌っています。 その、「実感すること」、「本質を感じること」 が、自然を大切にしたい、という気持ちに変わり、 それが、ゴミの分別であったり、節電であったり、 という実際の行動に繋がっていくと、思っています。 当日は、 Ustreamで、最終選考会が生放送されるそうです。 毎日、練習しています。 とても大きな舞台なので、 緊張しています。
ボランティア活動

「私たちは、忘れられてしまうのでしょうか」

「私たちは、忘れられてしまうのでしょうか」 岩手県大槌町役場前で出会った年配の女性に、 ふと言われました。 2011年3月11日「東日本大震災」 あれから、9ヶ月近くが経とうとしています。 日本中の方の、被災地への関心が薄れていることを、 被災された現地の方は、 ひしひしと実感しています。 ボランティアに来られる方の数も減りました。 支援物資も減りました。 「山おろし」 という、とても冷たい風が吹き付ける、 三陸の冬は、 心も冷たくしてしまいます。 テレビでは、 「復興」の場面が沢山流されるようになりました。 頑張っている人の姿に心を打たれます。 それと同時に、 今回の被害が、あまりにも広いために、市町村・自治体によって、 支援の状況に、あまりにも格差が広がっています。 ある自治体では、 被災された方が自立できないから、 地元の経済がまわらないから、 という理由で、 ボランティアや支援物資をお断りしている所もあります。 僕らがお話を聞いた、岩手県大槌町では、 埼玉から届いた毛布200枚が、 あっという間になくなりました。 とても足りません。 岩手県は、 雪道が危ない、 ということで、 12月から来年の3月まで、 ボランティアの受付を一時止めました。 実際、雪道を走っていると、 関西方面のナンバーの車が、 雪の中でガードレールにぶつかっていました。
ボランティア活動

岩手県と宮城県に行ってきます。

さて、 明日から、岩手県と宮城県に、 音楽を届けに行ってきます。 3日(土)の午前10時過ぎには、 岩手県宮古市にある 「みやこさいがいFM」に出演予定です。 一泊目は、宮古市の「グリーンピア三陸みやこ」という所に泊まります。 その次の日は、ラジオに出演後に、 海岸線を南下して宮城県に入り、 「幸せの歌プロジェクト」 でご連絡を頂いた、 小学校・中学校にお返事を渡しに行き、 宮城県の塩釜に泊まります 時間などに限りがあるのですが、 可能な限り、 直接お渡しできるところには、渡しに行きたいと思っています。 また、帰ってきたら報告します。 東北はもう雪です。 生まれて初めてスタッドレスタイヤをはきました。 それにチェーンも用意しました。 安全運転で行ってきます。
ボランティア活動

岩手県に行ってきました。

岩手県に行ってきました。 僕らが始めた「幸せの歌プロジェクト」で繋がった、 小さな糸をたどる旅でした。 岩手県宮古市に宿泊したのですが、 我が家から車で11時間以上かかるので、 移動で1日かかります。 今回の震災の前までは、 東北地方にはほとんど来たことがありませんでした。 修学旅行で蔵王にスキーにきたぐらいでしょうか? 宮古市から、海岸線を南下して、 宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市を訪ねました。 3月11日の大震災から、 もう8ヶ月が経とうとしています。 避難所も次々に閉鎖され、 みなさんは、仮設住宅などに移られています。 「復興」としきりに言われます。 でも、現実は、 まだ、やっと瓦礫などが片づいただけの状態です。 新たに、以前あった場所に家を建てられている方もいます。 コンビニなどは復旧が早いので、 ちゃんとした店舗が次々に出来ています。 夜道、陸前高田市から宮古市に帰るとき、 街頭もなく、道は真っ暗です。 信号も、まだないところが多いです。 そんな中、突然、コンビニの明かりが見えてきます。 なんだか、ホッとします。 真っ暗は、とても怖いです。 闇は、大きな傷跡も覆い隠します。 東北は、もうだいぶ寒いです。