ボランティア活動

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旅が続く

2011年3月11日 「東日本大震災」 とてつもない事が起こった、 ということは、何となく分かっていたけれど、 本当に何が起こったのかを知る、 また、身体中で感じるには、 時間が必要だった。 「被災地」 あまりこの言葉が好きではないから、 「被災された場所」や「現地」という言葉を使ってきた。 それは「障害者」という言葉があまり好きではなくて、 障害を持っている人、ということが多いのと似ている。 また、被災地のことを「東北」と言うことは、 徹底して避けてきた。 茨城県の高校の校長先生から電話をもらった時に痛感した。 茨城県は、震災により、多くの建物が崩壊した。 それも、3月11日の本震ではなく、 4月の余震で、だ。 このことは、あまり知られておらず、 今も仮設校舎で授業する子供たちが多いのだ。 「東北」 と、くくってしまった瞬間に、 茨城県も、長野県栄村も外れてしまう。 そんな、簡単な事ではない。 そんなシンプルなのことではない。
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歌う・唄う・謡う

そういえば、畳の上でライブ、 とは、 初めてかもしれないです。 久しぶりにマイクで歌ったのですが、 なんか、 やっぱり、 「音楽」って凄い!  場所:宮城県名取市の仮設住宅集会所にて。
STAND WAVE

海の日に唄う

昨日は、LOVE FOR NIPPONとして、 キャンドル・ジュンさんたちと 宮城県を訪ねました。 夜中の2時に出発。 午前中は山元町の社会福祉協議会を訪ねて、 現状や今後のニーズを聞いたり、 地元の人と一緒に美味しいお蕎麦を食べたり。 午後は、名取市の仮設住宅を訪ね、 みんなでバーベキュー。 そして久しぶりに STAND WAVEとして歌いました。 みんなで写真撮影。 その後、再び山元町へ。 山の中の素敵なお宅で、 素敵な夕暮れを過ごしました。 たくさん喋り、 たくさん笑った「海の日」でした。
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毎日が色濃く、、、

ふぅ。夜中に帰宅。 連日、 LOVE FOR NIPPON の事務所にて、 キャンドル・ジュンさんを交えての打ち合わせと、作業。 被災地と呼ばれている所、 そして、原発地域の避難されている方々。 支援、復興、発展について人生をかけて向き合っている人たちとの打ち合わせは、非常に熱がこもり、前向きです。 多くの刺激を受け、 自分の技術や想いを重ね、 ひたすら進んでいます。 少し時間が出来たら、 大好きな故郷、 岩手県大槌町にみんなに会いにいきたいなあ、 と思いつつ、とにかく一生懸命、精一杯! 明日は久しぶりのゆっくり日。 白キス釣りに目の前の漁港に行きたいけど、雨。 それもまた、人生。 変わらず変わらず、 共に、想いは寄り添って!
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ロックンロール生もの

突然の宅急便が届きました。 鮮魚のシール。 品名「ロックンロール生もの」 差出人「おおつちありがとうロックフェスティバル実行委員会」 中身「三陸の海の宝物」 岩手県大槌町を本気で復興させようとしている人たちは、 心の底から愛に溢れている人たちです! ありがとうございました!
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「おおつちありがとうロックフェスティバル」が終わった

「おおつちありがとうロックフェスティバル」 通称 「ありフェス」 このことについて、すぐに何か書けませんでした。 昨年11月。 初めて、岩手県大槌町を訪ね、 「いつかロックフェスをやるんだ!」 と実行委員長であり、 おらが大槌復興食堂の夜の部を担当している キミオさんから聞きました。 3月12日。 あの日から1年が過ぎた瞬間から、 ありフェスに向けて、 猛烈な勢いでスタートが切られました。 僕は、最初は「STAND WAVE」として出演のオファーを受けました。 その後、 ホームページや当日のPAもお願いされ、 僕らとしては、 このありフェスがみんなの笑顔で包まれるなら 僕自身が出演するより、 運営、裏方でお手伝いしたいと思い、 両方をこなすこは難しいと思い 出演を断りました。 4月、このブログでも「大槌に住みます!」と宣言し、 約3週間ほど、大槌に滞在し、 ホームページのイメージや、今後の運営の話しをしました。 ずっと大槌にいるつもりだったのですが、 大槌にいるより、横須賀にいる方が、 出来ることが多いのではないかと思い、
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「おおつちありがとうロックフェスティバル」だよ!

僕は、 「おおつちありがとうロックフェスティバル」では、 おらがステージのPA(音響)と司会のお手伝いをします。 ただいま機材のチェック終了。 車に詰め込んで明日大槌に向かいます! おらがステージでは、 落語からアコースティック、 ビートボックス、民謡、ポップスなど、 幅広く楽しめます! みんなの想いがいよいよ形になります。 とにかく、みんなが幸せな気持ちになれるよう、 精一杯お手伝いしてきます!! 大槌の想いよ、世界に届け!!
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キャンドル ジュンさんと共に

「キャンドル ジュン」さん 東日本大震災直後に 「LOVE FOR NIPPON」 という団体を立ち上げ、 著名人が賛同し、 被災地支援のための様々なアクション・活動をされてきました。 親友のミュージシャンを通して、活動を聞いていました。 ジュンさんのホームページやブログなどを沢山読み、 彼が何を見て・感じて・発信しているのかを知りました。 多分、それは、 断片的な情報で知る「キャンドル ジュン」という人物とは違う、 ピュアで真っ直ぐで愛の溢れる人でした。 一度、同じ空間にいたことがあったのですが、 何か、ものすごいオーラのようなものを感じて、 近寄れなかった思い出があります。 そのジュンさんと、 1台の車に乗り、宮城県に向かっていました。 同じプロジェクトをやっている小林さんとの3人。 夜中の2時に、 LOVE FOR NIPPONの事務所を出発。 男3人の0泊2日弾丸不眠ツアー。 つい、1ヶ月ほど前に、 親友のミュージシャンを通じて、 ジュンさんと初めて面と向かって話しをする機会を頂きました。 話して2,3分。ジュンさんが言ってくれました。 「君は今、体と心と魂がバラバラになってるよ」
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宮城県山元町へ

あさってから、 LOVE FOR NIPPON のスターターの方々と、 宮城県山元町に行きます。 仙南地区で、あまりボランティアなどが入っていない地域。 昨年、 初めて訪ねた被災された場所。 まだまだ知らない現状が沢山あります。感じてきます! まず、様々な現状を知ること。 そして感じたことから、 アイディアを生み出すこと。 今は、支援から、発展へと変わりつつあるような気がします。 おおつちありがとうロックフェスティバル も、あと2週間。 とにかく、とにかく、 精一杯。 「出来ることは全てやる」 から 「自分に出来ないことでも、 出来る人を探して全てやる」 僕が尊敬し、愛してやまない人の言葉です。 同じ気持ちでいたいです。
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「原発地域のお母さんたちと一緒に中越地震震央地でおいしいお米を作ろう」

「東日本大震災」 一言で表せないほど、大きな被害と、 1年4ヶ月経った今、 複雑な問題を抱えていることを、痛感した1週間でした。 僕は「音楽」というフィルターを通して、 被災された場所を訪ね続け、 様々な場所で「縁」が生まれました。 「復興希望ソング集」という3曲入りのCDを、 被災された小学校・中学校・高校・特別支援学校、400校以上にお送りし、 その学校を訪ねる、ということで、 なんの手がかりも繋がりもない「被災地」と呼ばれている場所を走り回りました。 その中でも「原子力発電所の事故」「放射能」については、 あえて触れることを避けてきました。 「なぜか?」 お送りした学校の中には、 「原子力発電所」がある場所も含まれているからです。 福島県「第一原子力発電所」「第二原子力発電所」 宮城県「女川原子力発電所」、茨城県「東海第二原子力発電所」 もし、僕が「原発反対」や「放射能の危険性」を全面に出したら、 女川町の中学生に会えなかったかもしれないんです。 福島の高校生から手紙をもらえなかったかもしれないんです。 原発の立地や運転を決めたのは、子どもたちではなく、大人です。 また、その電気の恩恵にあずかってきたのは、 紛れもない「僕ら」であって、 今回の事故を未然に防ぐための努力が足りなかったのも、 「僕ら」です。 なので、安易に「原発反対」や「放射能」について、 自分の想いを公の場で言うことを避けてきました。 そのことによって、原発立地をしている学校を、子どもたちを 訪ねることが出来なくなると思っていたからです。