
「原発地域のお母さんたちと一緒に中越地震震央地でおいしいお米を作ろう」
「東日本大震災」
一言で表せないほど、大きな被害と、
1年4ヶ月経った今、
複雑な問題を抱えていることを、痛感した1週間でした。
僕は「音楽」というフィルターを通して、
被災された場所を訪ね続け、
様々な場所で「縁」が生まれました。
「復興希望ソング集」という3曲入りのCDを、
被災された小学校・中学校・高校・特別支援学校、400校以上にお送りし、
その学校を訪ねる、ということで、
なんの手がかりも繋がりもない「被災地」と呼ばれている場所を走り回りました。
その中でも「原子力発電所の事故」「放射能」については、
あえて触れることを避けてきました。
「なぜか?」
お送りした学校の中には、
「原子力発電所」がある場所も含まれているからです。
福島県「第一原子力発電所」「第二原子力発電所」
宮城県「女川原子力発電所」、茨城県「東海第二原子力発電所」
もし、僕が「原発反対」や「放射能の危険性」を全面に出したら、
女川町の中学生に会えなかったかもしれないんです。
福島の高校生から手紙をもらえなかったかもしれないんです。
原発の立地や運転を決めたのは、子どもたちではなく、大人です。
また、その電気の恩恵にあずかってきたのは、
紛れもない「僕ら」であって、
今回の事故を未然に防ぐための努力が足りなかったのも、
「僕ら」です。
なので、安易に「原発反対」や「放射能」について、
自分の想いを公の場で言うことを避けてきました。
そのことによって、原発立地をしている学校を、子どもたちを
訪ねることが出来なくなると思っていたからです。