波起の雑記

松本哲也さん「歩きましょう」

「松本哲也」さん。 僕が彼の事を何か書くことは、 おこがましいですが、 同じ年で、今年再メジャーデビューをされた彼を 最大限の尊敬の気持ちを持って、 書かせて頂きます。 彼を知ったのは、 震災後、岩手県を頻繁に訪ねるようになってからでした。 至る所で聞く名前。 「いわて三陸復興食堂」 震災直後から、 岩手県の沿岸部を炊き出しキャラバンとして、 周り、物資提供から、炊き出し、イベントなど、 ずっとずっと続けてきた人たち。 店長は、 今は、岩手県大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいる、 元さん。 正直、僕は、 彼らのストーリーを、歴史を知らないので、 知ったような事を書けません。 でも、 最初の接点は、 昨年の2月、 大槌町の「おらが大槌復興食堂」にいたら、 突然、次の日に大槌町で行われる
波起の雑記

眠れぬ夜に、仲間を想う。

東日本大震災では、 24年9月の段階で 行方不明の方が2,800人以上いらっしゃいます。 阪神大震災では、今現在行方不明の方は3人です。 震災後知り合った方で、 ご家族がまだ行方不明の方に何人にも出会いました。 供養できないまま、三回忌が近づいています。 「瓦礫」を「我歴」と書いている人がいました。 今の科学技術ではDNA鑑定で、 髪の毛1本でも人を特定出来たりします。 だから「我歴」の中や、 海底探索にご家族の証を探している方が沢山いらっしゃいます。 岩手県大槌町の安渡や赤浜には 「我歴」がまだまだ高く積み上げられ、 1年以上そのままで、 草が生えたりして、 小高い山に見えたりします。 我歴は廃棄物ではなく誰かの家だったり、 大切なものだったり、 行方不明の方の手がかりだったりします。 震災後、嫌いになった、素敵だった漢字「絆」。 大切な人やものを、津波や地震でなくし、 「瓦礫」と呼ばれ、 全国から、 思いやりない言葉や行動で拒否される 被災された方たち、仲間たちを想い、涙が溢れてる夜です。 僕は、「放射能」による人災の加害者、という意識があります。 福島第一原発の事故、起こる前に、 もっともっと勉強して知ってたら、 原発をなくすことに人生すらかけれたはずでした。 いつの間にか「安全神話」をどこかで信じ始めていた自分。 罪悪感なく電気を使っていた自分。
ボランティア活動

大槌でイタリアン

本日、2月14日。 バレンタインデー。 岩手県大槌町赤浜に、 素敵な「イタリアンレストラン」 「BAR LITO」(バール リート) が新規オープンします。 まだ、20代の省太君が 自分の生まれ育った町で、 美味しいものを、 と、 多くの方の協力のもと オープンとなりました。 僕は、大槌町の全てのお宅に配る チラシをデザインさせてもらいました。 大槌町赤浜は、 まだ、家の基礎がいたる所に残り、 津波の大きな傷跡があります。 そこに、 一つの光が生まれます。 横須賀にいても、 デザインやパソコンなどはお手伝いできるので、 繋がりを大切にして日々過ごしてます。 省太くんのお店も、 暖かくなった頃に遊びに行きたい、と。 今日、オープンする BAR LITOのことを、 横須賀から想っています。
波起の雑記

長井の朝市会議

今週土曜日に行われる 僕らが暮らす町、 横須賀市長井の漁師直売 「長井の朝市」 の会議に行ってきました。
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続けて 5,800日

「続けて 5,800日」 今回、突然思い立って沖縄に来ました。 先日、ほとんどテレビにでない モンゴル800がミュージックステーションに出演し、 その時に、キヨサクさんが、 「No Osprey(オスプレイ) No Nukes( 原子力、核)」 というシャツを着ていたのが話題になりました。 紅白で斉藤和義さんのギターストラップに 「NUKE IS OVER(原子力は終わった)」 と書いてあり、 アーティストが あえてテレビ出演をし、 メッセージを発信しています。 「No Nukes」 福島第一原発の事故後、 たくさん見たメッセージ。 でも、キヨサクさんの 「オスプレイ」 については、 僕の中では、 正直あまりピンときませんでした。 彼が何を伝えたかったのか? もうすぐ、 東日本大震災から丸2年が経ち、 3年目になります。 これからが、さらに僕自身にとっての 本格的なアクションのスタートだと思っていました。 その3月11日を前に 三陸から遠く離れた、 日本の反対側の沖縄の問題を体感することで、 もっともっと自分自身を豊かにしていきたいと思い、 2日後の航空チケットを取っていました。 様々な場所を訪ねながら、 沖縄の今を感じていると、 それは、 メディアなどで知ることとは あまりにも温度感が違いました。
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沖縄で三陸を想う

ずっと行きたかったけど、 なかなか行けなかった「沖縄」。 なぜ行きたかったか。 東日本大震災からもうすぐ丸2年。 僕にとっては、3年目が本格的なスタートだと想っていたのですが、 いつの間にか、 横須賀と三陸を往復する日々が、 視野を狭くしてしまっていました。 大切な友人。 昔からの友人。 声には出さないけど、 連絡をしてくる訳じゃないけど、 僕らのことを応援してくれている人。 今まで大切にしてきた習慣。 そういったことを、 置き去りにしてしまっているような感じがしました。 僕は、三陸においては 「よそ者」 です。 どんなに仲良くなって、 滞在しても、 ずっと「よそ者」です。 でも「よそ者」だから考えられること、 出来る事があると想ってここまできました。 その中で、 自分の中では、 「何も出来ていない」 という反省と、自問自答が日々繰り返され、 何か実績や成果を残したい、 という「自己実現」に変わってきていました。 だから、 積極的に声かけをして、 僕に出来る事はないですか? と言ってまわっていました。 でも、 やっぱり そんなに出来る事ってなくて、 でも、 間違いなく出来る事は、
ボランティア活動

ありがとう発信!!

「ありがとう」発信!! 先日、横浜の展示会に 岩手県大槌町の虎舞を見に行ったとき 「復興ブース」 というのがあって、 宮城県は女川町の方々、 岩手県は盛岡フェザンの方々が おーちゃん人形とか浜のミサンガとかを 販売されてて、 「よく三陸に行くんです」 と話かけると、 まず、 「いつもありがとうございます」 と、 全然初対面なのですが、 深々と御礼をされました。 僕は、 大切な人たちがたくさん出来て、 会いたいから勝手に会いに行っているだけなので、 なんだか恐縮してしまいまして。 先日、 岩手三陸に行った時、 どうしても見たかった 「THANKS ON THE ROAD」カー。 キミオさん、が手作りで作ってるのを Facebookなどで見ていて、 でも、タイミングが合わず会えなくて、 ちょうど横須賀に戻ろうとした時に、 突然、キミオさんが現れて、 抱き合って、 車を見せてもらって。
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阿部力さんと京ちゃん

大槌に着いた日に、 阿部力さんと、七福でお酒を飲み、 次の日のお昼過ぎに、 大槌町赤浜にある阿部力さんの仮設住宅にお届けもの。 ちょっとあがっていきなよ、 ということで話してたら、 力さんのお母さん、 「京ちゃん」 こと、阿部京子さんご帰宅。 今度は4人でワイワイ。 京ちゃんの作る「京ちゃん人形」の話になり、 もう60人も作ったとのこと。 それで、今は編み物に凝ってるからと、 沢山のマフラーなどを見せてもらいました。 そしたら、 最新作の、穴に通す形の 可愛いマフラーをプレゼントしてくれました!! 凄い洒落てます! 幸せな時間が過ぎていきます。 ありがとうございます!
ボランティア活動

大槌にイタリアン!

岩手県大槌町赤浜に、 省太くんの「イタリアンレストラン」が出来ます。 「BAR LITO(バール リート)」 イタリア語で 「浜の食堂」 という意味です。 イタリア料理以外にも 色々揃うようです。 大槌で生まれ育ち、 自分の町で「お店」を出したい、 という夢や目標を持っていたのを、 以前聞いたことがあって、 それが、 訪ねる度にどんどん形になっていました。 昨日は、ちょうど看板を取り付ける、 ということで、 桐山さんが来ていて、 外装の工事は小原さんたちがしていて、 大槌の若者の夢の出発を、 みんなが応援していて、 なんだか感動しました。 僕も、何かお手伝い出来る? と訪ねると、 オープンのお知らせの チラシを作らせてもらえることになりました。 大槌町赤浜、 このお店からは、 ひょっこりひょうたん島のモデルになった 「蓬莱島」 が見えて絶景です! それと同時に、 まだ、津波の被害がそのままになった状態でもあります。 家の基礎がいたるところに残るこの場所に、 輝くようにお店が出来上がっていきます。 どんな困難な状況でも、 前を見て、 一歩一歩進み始め、 それを仲間が全力で応援する。 この町にある、 素敵な一面を感じることが出来ました。 2月中旬オープン予定。 次回行くときは、 美味しいものを沢山食べさせてね!
ボランティア活動

大きな木になり、実になる

岩手三陸での2泊3日が あっと言う間に過ぎていきました。 東北道を横須賀に向かってます。 いつも、特に予定を決めてないのですが、 あれよあれよとみんなに会って、 ちょっと話すつもりが 2時間くらい経ってたり。 そういえば、 河合商店の秀保くんと 写真撮ったことないね、 って、 撮りました。 秀保くん、顔が堅い(笑) 河合商店オリジナル干物に貼る シールをデザインしたら 早速貼ってくれてました。 来月はホームページ作ろうね、 と、約束をして帰ります。 約束を一つ一つ紡いでいきます。 そして大きな木になり、 実になります。 豊かな時間が、 豊かな人間関係があります。 震災の大きな傷跡は、 まだ何も変わらずそこにありますが、 僕らの関係は、 色鮮やかになっていきます。 またすぐ帰るから、 また会いましょ。 素晴らしい時間を ありがとう。 僕らからも感謝を伝えます!