宮城県山元町「山下第二小学校」
海沿いにあり、常に波音が聞こえ、モダンな校舎は各地から人が訪ねる素敵な学校でした。
2階まで津波が到達しました。
中は全て流されました。
この秋に取り壊しが決まり、卒業生などが集まりお別れ会をするそうです。
キャンドルジュンさんと、山元町のお母さんと3人で中を見て周り、何か学校の一部を使って、遊具であったり、楽器であったりを作れないか考えました。
学校の時計は全て、「15時19分」で止まっていました。
震災の大きな傷跡は「復旧」と呼ばれる取り壊しなどで、探すことが難しくなっている今だからこそ、この町を見て欲しい、と色々と案内して頂きました。
沢山の想い出と記憶が残る、大きく変わってしまったわが町を、ぜひ見て欲しいと、切に願っているお母さんの言葉が胸に響きました。
同じ日本の、関東から数時間の場所では起きた、大きな出来事を、今の感覚で感じ続けます。
今は笑顔と涙で教えてくれる皆さんの体験を、みなさんと共有できたらと思っています。
「復興」という言葉の意味さえ分からなくなってしまいましたが、この町が少しずつ変わっていく姿を、共に見つめていきたいと思っています。