ボランティア活動

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「生きる力」とは

「こうやって来てくれるだけで、生きる力もらってるっすよ」 岩手県大槌町にある「おらが大槌復興食堂」で出会い、 意気投合し、2晩連続で、一緒にお酒を飲み、 同じ大槌町にある、瓦礫を集めて作ったおしゃれなレストランバー「APE」に移動中に、 漁師の阿部力さんが言ってくれた言葉です。 「生きる力」 宿泊客を救った女将、として、何度かテレビで見ていた、 釜石市にある「宝来館」の女将さん。 2階部分まで津波で被害を受け、 自らも津波にのまれ、奇跡的に助かり、 それでも、目の前が海の絶景の場所に再び、宝来館を再開させ、 まだ、エレベーターや部屋の鍵が使えないことを 何度も何度も謝りながら、 僕らを泊めてくれました。 帰り際に、STAND WAVEのCDを手渡し、 今、被災した子どもたちや、被災された場所を訪ねながら 音楽を届けている話をすると、 涙を拭きながら色々とお話をしてくれました。 従業員の方が、津波の傷が癒えず、半分の方が復帰出来ず、 復帰した方でも、午前中しか働けなかったり、 皆さん、とても心に大きな傷を抱えながら、 その人たちの、そして宝来館のある地区の子どもたちや将来を 必死に探し続ける女将さん。 話している途中から、顔が変わり、 とてつもなく強い芯と決意を持って宝来館を再開したことを教えてくれました。
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人のことが、もっと好きになる。

「おらが大槌 復興食堂」 は、岩手県大槌町の一番被害がひどかった場所に、 復興のシンボルとして手作りで作られました。 左に見える、白いテントが食堂です。 1月6日から3泊4日で岩手県の三陸を訪ねました。 片道11時間ほどかかるので、 丸2日は移動日になります。 ちなみに、今回は9時間半でつきました。 それは、神奈川から東京を抜けて東北道に入るまでに 渋滞がほとんどなかったからなんです。 岩手県では、100km移動はよくあるのですが、 東京の首都高では、混んでいると8キロに1時間かかったりします。 さて、 今回は、盛りだくさんでした。 岩手県の三陸を訪ねるのはこれで3回目なのですが、 徐々に繋がりも増えてきて、 会いたい人も増えてきて、 2日間、動き回りました。 7日の朝は、 岩手県洋野町で 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」 の大撮影会に参加しました。 先月、大槌町で行われた撮影会に参加したので、 今回は見学だけ、と思っていたのですが、 参加させて頂けることになり、 みなさんと写ってきました。 この大撮影会は、 「復興の狼煙ポスタープロジェクト」の第二章で、 岩手県沿岸部の全ての市町村で行われます。 そして、2012年3月11日以降に発表されます。
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「幸せの歌 プロジェクト」ご報告 その1

「幸せの歌 プロジェクト」お送りセットです。 CD、ポストカード、お手紙、僕の自己紹介と歌詞カードを クリアファイルに入れて、うぐいす色の封筒でお送りしています。 ※沢山書きました。長いです。でも、読んで頂けると嬉しいです。 さて、 僕は、「東日本大震災」において、 何が出来るのかを、問い続けてきました。 そして、 沢山の悲しみや困難を体験した子どもたちに、 STAND WAVEの歌を届けたい、と想い、 「幸せ」「希望」「ふるさと」をテーマにした3曲を作り、 「東日本大震災復興希望ソング集」として、 今回の震災で被災された 小学校・中学校:207校 高校・特別支援学校:247校に 上の写真の 「幸せの歌 プロジェクト」お送りセット をお送りしています。 それで、 今、どういった状況かを、まずはご報告しようと思いまして。 まず、 今回、被災された学校をを決めるときに、 自分たちの思い入れだけで決めたくない、 という想いがありました。 なにをもって「被災」とするのか。 なので、学校を支援をしているベルマーク財団が 「被災認定校」 とした、小学校・中学校に、まずお送りすることにしました。 そして、 高校・特別支援学校は、 その小中学校がある市町村にある学校全て、 としました。 可能な限り、公平に、根拠を持って、 というのが活動の原点にあります。 しかし、調べていくと、 おそくらく、今回のベルマーク財団の被災認定校の資料が届かなかった学校もあり、 学校自体が津波の被害でなくなってしまったのにも関わらず、 リストにのっていない学校も沢山ありました。 それらを全て、僕らで調べることが出来ないのですが、 お教え下されば、すぐにお送りします。
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「私たちは、忘れられてしまうのでしょうか」

「私たちは、忘れられてしまうのでしょうか」 岩手県大槌町役場前で出会った年配の女性に、 ふと言われました。 2011年3月11日「東日本大震災」 あれから、9ヶ月近くが経とうとしています。 日本中の方の、被災地への関心が薄れていることを、 被災された現地の方は、 ひしひしと実感しています。 ボランティアに来られる方の数も減りました。 支援物資も減りました。 「山おろし」 という、とても冷たい風が吹き付ける、 三陸の冬は、 心も冷たくしてしまいます。 テレビでは、 「復興」の場面が沢山流されるようになりました。 頑張っている人の姿に心を打たれます。 それと同時に、 今回の被害が、あまりにも広いために、市町村・自治体によって、 支援の状況に、あまりにも格差が広がっています。 ある自治体では、 被災された方が自立できないから、 地元の経済がまわらないから、 という理由で、 ボランティアや支援物資をお断りしている所もあります。 僕らがお話を聞いた、岩手県大槌町では、 埼玉から届いた毛布200枚が、 あっという間になくなりました。 とても足りません。 岩手県は、 雪道が危ない、 ということで、 12月から来年の3月まで、 ボランティアの受付を一時止めました。 実際、雪道を走っていると、 関西方面のナンバーの車が、 雪の中でガードレールにぶつかっていました。
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岩手県と宮城県に行ってきます。

さて、 明日から、岩手県と宮城県に、 音楽を届けに行ってきます。 3日(土)の午前10時過ぎには、 岩手県宮古市にある 「みやこさいがいFM」に出演予定です。 一泊目は、宮古市の「グリーンピア三陸みやこ」という所に泊まります。 その次の日は、ラジオに出演後に、 海岸線を南下して宮城県に入り、 「幸せの歌プロジェクト」 でご連絡を頂いた、 小学校・中学校にお返事を渡しに行き、 宮城県の塩釜に泊まります 時間などに限りがあるのですが、 可能な限り、 直接お渡しできるところには、渡しに行きたいと思っています。 また、帰ってきたら報告します。 東北はもう雪です。 生まれて初めてスタッドレスタイヤをはきました。 それにチェーンも用意しました。 安全運転で行ってきます。
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岩手県に行ってきました。

岩手県に行ってきました。 僕らが始めた「幸せの歌プロジェクト」で繋がった、 小さな糸をたどる旅でした。 岩手県宮古市に宿泊したのですが、 我が家から車で11時間以上かかるので、 移動で1日かかります。 今回の震災の前までは、 東北地方にはほとんど来たことがありませんでした。 修学旅行で蔵王にスキーにきたぐらいでしょうか? 宮古市から、海岸線を南下して、 宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市を訪ねました。 3月11日の大震災から、 もう8ヶ月が経とうとしています。 避難所も次々に閉鎖され、 みなさんは、仮設住宅などに移られています。 「復興」としきりに言われます。 でも、現実は、 まだ、やっと瓦礫などが片づいただけの状態です。 新たに、以前あった場所に家を建てられている方もいます。 コンビニなどは復旧が早いので、 ちゃんとした店舗が次々に出来ています。 夜道、陸前高田市から宮古市に帰るとき、 街頭もなく、道は真っ暗です。 信号も、まだないところが多いです。 そんな中、突然、コンビニの明かりが見えてきます。 なんだか、ホッとします。 真っ暗は、とても怖いです。 闇は、大きな傷跡も覆い隠します。 東北は、もうだいぶ寒いです。
STAND WAVE

復興希望ソング「希望がある」

9月下旬に、 宮城県と岩手県に 2泊3日で行ってきました。 津波の被害の大きかった所を見てきました。 震災から半年、 避難所は閉鎖されはじめ、 仮設住宅で生活を始められている中で、 メディアでも、 「原発・放射能」の話はあっても、 「震災・復興」の話を聞く機会が凄く減ってきたように思います。 今、どうなっているのか。 現地に行きました。 正直、復興とは、とてもほど遠い、 まだまだ、何も片づいていないほどの場所がほとんどで、 特に、岩手県の陸前高田市は、 町ごと草原になってしまい、 あまりの壮絶な光景に言葉を失いました。 2泊したペンションと旅館は、 いずれも、被災された方の避難所となっていた場所で、 僕らが訪れたときに、 ちょうど最後の方が仮設住宅に移られる日でした。 チェックアウトの際に、 そっとSTAND WAVEのCDを差し出しました。 STAND WAVEは、 「音楽で何ができるのだろう」 と自問自答してきましたが、 劇的に何か大きな変化を起こすことは出来なくても、 人々の心に寄り添えるのではないか、 と想い、 「復興希望ソング」 と名付けて 曲を作っています。 第1弾として 「幸せの歌」 を作りました。
STAND WAVE

最新曲「幸せの歌」

震災以降、 このブログで、 何度か新しい曲が出来て、レコーディングする、 と書いたのですが、 曲は出来たのですが なかなかレコーディングして音源にして、 ということが出来なかったのです。 「何のために音楽をやるのか」 自分が楽しければ良かったのかもしれません。 誰かにメッセージを伝えたかったのかもしれません。 でも、 震災で、そういった、音楽への価値観が、 大きく変わってしまっていて、 「何のため」 ということを考え始めると、 どうしても音楽に向かい合うことが出来なくなってしまったんです。 「音楽を手放す」 僕は、 音楽から距離を置き、 日々を、とにかく、必死に、平穏に過ごしていました。 震災・復興・原発・放射能、、、、、 いやでも、 ネガティブな情報が入ってきて、 前向きになることが難しい中で、 必死で平穏を維持していました。 時間は、だんだん忘れさせてしまいます。 いつの間にか、 忘れてしまいます。 残酷です。 そういった中で、 台所の下からお米を取り出し、 頭を上げた瞬間、 音楽が降ってきました。
STAND WAVE

100人分の「ありがとう」

「苦手だった音楽が好きになりました」 「また、なみくんと歌いたいです」 「将来の夢が決まりました」 「緊張したけど、とても楽しかったです。また録音したいです」 「お腹から声を出したら、歌がうまくなりました」 沢山の言葉が、届きました。 長井小3年生のレコーディング。 無事終わり、編集作業も済み、 完成版を学校の先生に渡してきました。 「号泣です」 渡した直後に、先生からこんなメールをもらいました。 7月に1回目のレコーディングをした時に比べ、 驚くほど歌に自信を持ち、 歌う喜びに溢れた 子どもたちの声が、 大人の心を揺さぶります。 出来上がりを何度も聞きました。 いまだに鳥肌が立ちます。 完成版を聞いた子どもたちが、 今回のレコーディングについての感想文を書いてくれました。 100人分の気持ちが詰まった原稿用紙を受け取りました。 丁寧に丁寧に、1枚1枚じっくりと夫婦で読みました。 子どもたちの素直な気持ちが沢山伝わってきました。 ミュージシャンとして活動しています。 それは、 自分たちの曲を発信する活動であります。 でも、それだけではなく、 こうして、 「音楽」 という可能性を伝えることが出来るんだ、 ということを、僕らが教えてもらいました。
STAND WAVE

録音編集と洗濯機

先日、長井小学校で録音した 3年生の歌声をミックスしています。 ミックスというのは、 録音したそのままの状態にお化粧をしてあげる、 というような作業です。 声の低域と高域をカットすることで、 子どもたちの一番張りのある部分が前に出てきて、 歌に迫力が出ます。 声の声量のばらつきを整えて、 安定感を加えます。 ただ聞いただけでは、 どこをミックスしたの、 というくらい分からない、細かい作業をするんです。 ありのままの良さ、というのも当然ありますが、 薄化粧をすることで、 その人の魅力が引き出されるように、 写真を撮るときに ライティングでイメージが変わったり、 音楽でも、そんなことをしています。 出来上がりにはもう少し時間がかかりそうですが、 楽しみながらやっていきたいです。 と、思ったら、 洗濯機が壊れました。