全て2011年11月4日に撮影。
岩手県陸前高田市のマンション。5階部分まで津波がきたようです。
宮古市田老地区の以前の写真。スーパー防潮堤と言われる10mの堤防に守られていました。
岩手県大槌町の役場です。津波で役場がなくなってしまったので、
仮設の役場が小学校の校庭に建てられました。
岩手県に行ってきました。
僕らが始めた「幸せの歌プロジェクト」で繋がった、
小さな糸をたどる旅でした。
岩手県宮古市に宿泊したのですが、
我が家から車で11時間以上かかるので、
移動で1日かかります。
今回の震災の前までは、
東北地方にはほとんど来たことがありませんでした。
修学旅行で蔵王にスキーにきたぐらいでしょうか?
宮古市から、海岸線を南下して、
宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市を訪ねました。
3月11日の大震災から、
もう8ヶ月が経とうとしています。
避難所も次々に閉鎖され、
みなさんは、仮設住宅などに移られています。
「復興」としきりに言われます。
でも、現実は、
まだ、やっと瓦礫などが片づいただけの状態です。
新たに、以前あった場所に家を建てられている方もいます。
コンビニなどは復旧が早いので、
ちゃんとした店舗が次々に出来ています。
夜道、陸前高田市から宮古市に帰るとき、
街頭もなく、道は真っ暗です。
信号も、まだないところが多いです。
そんな中、突然、コンビニの明かりが見えてきます。
なんだか、ホッとします。
真っ暗は、とても怖いです。
闇は、大きな傷跡も覆い隠します。
東北は、もうだいぶ寒いです。
山々は紅葉し、海には太陽が反射し、
本当に、ここは、自然豊かな場所だったのだと目を奪われます。
しかし、よく町並みを見ると、
1階だけが抜けてしまった建物がそのままになっていたりします。
「がんばろう日本」
「がんばろう東北」
沢山ののぼりやポスターを見かけます。
その中に、少しの変化が。
「がんばります東北」
「ご支援ありがとうございます」
この状況から、一歩踏み出そうとしています。
「幸せの歌プロジェクト」
は、
僕がこの大震災の後に、
被災された方々に寄り添って作った3曲を
被災された全ての小学校・中学校・高校にお送りするプロジェクトです。
ただ、学校に突然訪ねていくのは非常に難しいので、
各自治体の役所を訪ねました。
「災害復興課」
を訪ねて、「幸せの歌プロジェクト」の話をして、
CDなどを渡してきました。
皆さん、とても忙しいので、あくまでも邪魔にならないように。
そんな中、共感して下さり、
地元だけに流れる
「災害エフエム」
というラジオ局を紹介してくださいました。
「みやこさいがいエフエム」を訪ねました。
その場で、曲を聴いて頂いて、
「すぐに流します」
と言って頂きました。
そして、月に一度ほど、東北を訪ねる予定です、と言うと、
「じゃあ、来月ゲストで出て下さい」
と言ってくれました。
ということで、
12月の始めに、岩手県を訪ねるときに
「みやこさいがいエフエム」にゲスト出演することになりました。
大槌町の総務課を訪ねた時に、
総務課長さんが話を聞いて下さり、
「これからは、音楽が非常に有意義なので、色々とよろしくお願いします」
と言われました。
なんだか、ホッとしました。
僕の「幸せの歌プロジェクト」は、
あくまでも、
個人的な活動です。
本当に音楽が必要なのか?
音楽で何が出来るのか?
現地に行っても自問自答していました。
そんな中で、
現地の方にそういっていただけて、
僕の想いが、間違っていなかったのだと実感出来ました。
東北には、もうすぐ冬がきます。
沢山の雪が降ります。
雪が降ると、全ての作業が止まってしまいます。
また、仮設住宅は、プレハブなので、
東北の冬を過ごすには、とても寒いと思います。
自治体の方は、民間の賃貸物件を借りるなど、
冬が来る前に、必死に努力されていました。
でも、まだまだ、人も何もかも足りません。
可能ならば、ぜひ、一度現地を訪ねてみて下さい。
テレビやネットなどで見る感覚と、
実際に自分の目で見る感覚は、あまりにも違います。
そして、忘れないでほしいと思います。
何も出来なくても、想い続けることは出来るではないでしょうか。
僕は、自問自答を繰り返しながら、
自分たちの出来ることを探し続けます。
そして、忘れずに、続けていきます。